ブリコラージュウッド
あらかじめ準備した設計図などは使わず、
与えられた条件の中でありあわせの素材を使い、見事にその時その場に最適なものを生み出すことを
フランスの人類学者であるレヴィ・ストロースは著書「野生の思考」のなかで、その行為をブリコラージュ(=野生の思考)と呼んでいます。
その著書で、南米の先住民とのフィールドワークを通し、彼らの生活をつぶさに観察し西欧では失われてしまったその思考や行為を伝えています。
西欧的・合理的な思考で物事を俯瞰したり、細分化することで結果を求める行為に我々は慣れ親しんでいますが、
そもそもどこまで追い求めればその神の目の様なものを持ち得るのでしょうか。
その反面、どこまでいってもそれらは断片でしかないということが人類の原初からある野生の思考なのです。
合理的な思考は結果(目的)のために「部品」を生み出します。
ここでいう部品とは今ここには存在しない、結果(目的)のために新たに生み出されたものを指します。
目的物は我々の日々の生活の利便性向上やスピードアップをもたらしてくれましたが、
それらを新たに生み出したことで、これまで存在しえなかった原発の核廃棄物やマイクロプラスチック等の副産物が表裏一体の関係で生み出されることを私たちはそこかしこで見聞きすることができます。
では、野生の思考である「断片」はどうでしょうか。
断片はその周辺に人類誕生以前から既に存在し、常にその個性を主張しつつ、
この地球上で既に何らかの役割を演じています。
断片で組み合わされた結果(目的)は地球上でも当然のこととして調和し、
当たり前過ぎる様に見えるためか、その価値に気付きにくい存在でもあります。
料理に例えるならば、レシピに記された世界中から最高の食材を集め(部品)、
シェフが調理した料理が「エンジニアリング」に当たり、
冷蔵庫に入っている食材(断片)を見て我が子の好き嫌い栄養等を考え、
即興で作った母親の料理が「ブリコラージュ」に当たります。
この例の世界観を少し広げれば、
その周辺で取れる地域の旬な食材で料理を作ることであり、地産地消のことであることが分かります。
更に地産地消の抽象度を上げるとブリコラージュであることが、
また、同時に持続性が内包されていることも明白です。
建築業界では現在までエンジニアリングウッドと言われる、木材を3cm程度にスライスした板を
接着剤を使い積層させた構造材が主流でした。
これは練り物である鉄骨やコンクリートなど設計主義に基づく性能を均質化させた製品に近づける行為で、
供給者或いは消費者の様々な都合に合わせものです。
この行為は木材の特徴を無機物へ近づける、個性を欠いた大量生産型の扱い方で、
これまでの社会需要に答えるために一定程度必要とされてきたことも確かです。
しかし、これから求められる方向性は人ももちろんそうですが、
木材の個性や長所を尊重し、それらを伸ばす扱い方であることを私たちは既に知っています。
ブリコラージュウッドは建築業界におけるダイバーシティでもあるのです。
その地域で取れる木材である杉桧などの針葉樹と欅や栗や樫などの広葉樹のみで構成し、
その地域にある人や工場で作製する構造材です。
周辺にある限られた資源でやりくりすることで創意工夫が生まれ、
独創性や景観が醸成され、長い年月を経て豊かな独自文化に繋がる端緒になることを意図しています。
それが「ブリコラージュウッド」の本質的な試みです。
性能はエンジニアリングウッドに劣ります。
しかし、材を少し大きくすれば事足りる内容です。
GDPの様な画一的な指標で評価するのではなく、
新たな形や景観、地場の循環経済が生み出される等、持続性に繋がることにこそ、フォーカスしていきます。